岡本かの子
底本:「日本幻想文学集成10 岡本かの子」国書刊行会
1992(平成4)年1月23日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
1974(昭和49)年発行
初出:「婦女界」
1933(昭和8)年11月
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:湯地光弘
岡本かの子
その合議のなかの一つの事件として不思議なことが取り行はれたのでした。おとうさんを生んだ母親は男のおとうさんを女に仕立て、おかあさんを生んだ母親は女のおかあさんを男育てに育てたのでした。よくたとへには、玉のやうな赤ん坊を生んだなどと云ひますが、ほんたうは生れたばかりの赤ん坊といふものは、赤くてくしや/\で女だか男だか一寸(ちょっと)区別がつきかねるものです。前後して生んだ赤ん坊を真実の男とか女とか知つた人はいくらもないそのうちに二人の母親は都住居(みやこずまい)の人達によくあるあちらの街からこちらへと処々生活の都合で越して歩きました。
おかみへ届けるときにはどうなつてゐたのでせうか分りませんが、二人が自分の名を自分で覚える頃には二人ともその育つ姿や生活に相応する――即(すなわ)ちおとうさんは女にふさはしく、おかあさんは男らしい呼名に都合よくなつて居ました。越して行く先から先の近所の人達も当然それを怪しみもせず、おとうさんを女の児(こ)扱ひにし、おかあさんを男の児と見做(みな)して仕舞ひました。二人の母親は、二人ともつつましく行儀よく出来てゐる女同志で、自分の子たちもさういふしつけの宜(よ)い育て方をしましたので、二人の子達も子供らしい遊びもいたづらも相当に仕(し)て居乍(いなが)らよく子供に有(あり)がちな肉体的な暴露などはありませんでした。さうして育つて行くうちにも仲好しの母親同志は越す先々の家を成(なる)たけ近所同志にえらび、お互ひの生活を接近させてゐました。が、自分達の合議の上で女を男に、男を女に、と取換へつこに育て上げつつある自分達の世間はづれた事業が苦もなく成功して行くのを不思議がりもせず、別に得意にもしなかつたせゐか、しまひにはお互ひ同志ばかりがどんなに人と離れて接近し合つて居る場合でも、それを得意がつたりして談(はな)し合ふことも無い様子でした。否々、しまひには自分の男の児が女として育つて居(お)り、自分の女の児が男として育つて居ることさへ追々(おいおい)忘れて仕舞つたかのやうでありました。